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ニコプロpresents「実家プロレス」

ニコプロpresents「実家プロレス」

ニコプロpresents「実家プロレス」
日時:2024年6月21日(金)
開始:12時30分頃
会場:岡山・佐藤光留実家
観衆:抽選で当選した5人+大会スポンサー2人

メインイベント 新太平洋運輸株式会社/RYSKパートナーズ/名古屋プロレスバーDIVA/デッドリフ太郎 presents シングルマッチ 時間無制限1本勝負
佐藤光留(パンクラスMISSION)
34分22秒 光留母の肌着を使った攻撃の相打ち→両者KO
髙木三四郎(DDT)

岡山県岡山市内の閑静な住宅街の中でひときわ大きい一軒家。築120年の日本家屋に立派な庭まであるこの家こそが、佐藤光留の“実家”である。抽選で選ばれた5人の観客とスポンサー枠の2人、計7人の観客が庭先に揃ったところでおもむろに大会スタート。
まずは情熱人’sプロモーションの金谷特別リングアナに呼び込まれて、主催者の佐藤光留がなぜかNTVスポーツテーマに乗って勝手口から登場。「本大会は今年の7月(21日の両国大会を最後に)休業(することを)を宣言した髙木三四郎に、何とか自分のホームで闘おうというところが発端で始まりました。もともと昨年9月8日の全日本プロレス代々木大会で、DDTとの対抗戦が組まれ、リングの中に入ろうとした髙木三四郎を『何を言ってるんだ! リングの中なんかでプロレスやったら負けじゃないか! そう教えてくれたのはあなたですよ!』という気持ちを込めて、ずっと場外に連れ出していたら試合が終わった。あそこから決着をつけなければというところで、この実家プロレスがスタートしました。その間、新幹線プロレスとか自分がDDTに上がることもあったんですけど、結局髙木さんも名前がある人とたくさん試合しなければいけないんで、なかなか(かつてDDTに)レギュラーで参戦した自分と試合をすることも、パッと出来ることではなかったんで。これはもう自分でやるしかないという、いつもの結論に辿り着き、じゃあ俺のホームでと思ったんですが、じゃあホームってどこだ、と。全日本プロレスをホームと言ったら、また全日本プロレスにいらんカネを取られるんで。それは避けたい! かといってハードヒットに呼ぶって言っても、あんまりパッとしない。インディージュニア(の祭典)で? 髙木三四郎はジュニアなのか? いろいろ考えた結果、ホーム、ホーム……ホーム? ホーム! ってことで、実家に呼ぶことに成功しました。スケジュールを聞いたらこの日しか空いていないということだったので、明日(6月22日)ジョシュ・バーネットの興行(ブラッドスポーツ)で両国に出るんですけども、そのことをタクシー運転手に言ったら『本気ですか?』って言われましたけど。もちろん本気でございます。この間エル・デスペラード選手の興行に出たときに、エル・デスペラード選手が解説席で『この人に本気じゃない試合はないんだ』と、嬉しいことを言ってもらえました。非常にありがたいことだったんですけども、やっぱり実家に来るとちょっと親に対して横柄な態度で話してしまったり、ちょっと関係者の前ではいつもの態度でいられなかったりと、私自身もなぜかアウェー状態という。妙な状態ではございますが、それも含めて人類史上初、実家プロレス開催していきたいと思います」と挨拶。

そのあと、改めて勝手口コーナーから佐藤光留が入場。続いて玄関コーナーから髙木三四郎が入場。佐藤家の駐車場で両者が向かい合うが、ここで金谷リングアナが「レフェリーがいないんですけど、どうしたらいいですか?」と漏らすと、光留が「ここは俺のホームなんだ! ここはことを有利に進めるしかない。佐藤光留にむちゃくちゃ有利なレフェリーを今日は連れてきた。交通費が4万6000円かかった。それでは特別レフェリーの入場です」と告げると、自らのiPhoneからゴキゲンな曲を流す。玄関口から登場したのは、佐藤光留とは同期で同い年、YMZで数々のゴキゲンなプロレスを展開している米山香織。観客にとってもビッグサプライズで歓声があがる中、光留母から借りたという台所のタオルを振り回して登場した米山レフェリー。すると、まずは記念撮影ということで光留、髙木、米山が玄関に移動。光留のご両親と、料理作りを手伝うために来たという親戚の方が並び立つ。タイトルマッチの際にベルトを挟んで記念撮影というのはよくある光景だが、選手のご両親+親戚を挟んで記念撮影というのはなかなか見ない光景だ。

そこから再び駐車場に移動すると、両者がガッチリと握手を交わし、金谷リングアナがすりこぎで鍋を叩く“お手製ゴング”を鳴らして試合開始。普通の民家の駐車場でコスチューム姿のプロレスラーが試合をして、その様子を10人くらいが眺めているという異様な光景に、思わず通行人も立ち止まってしまう中、下がコンクリートなのにグラウンドの攻防に。光留のヘッドシザースから悲鳴をあげながら脱出した髙木。さらにロックアップからブロック塀に押し込むと、米山レフェリーが“ブロックブレイク”を命じるという実家プロレスならではのルールがある中、髙木は庭先で見つけた水やり用のホースで光留を縛りあげると、なぜか近くに置いてあった刷毛で光留の乳首を刺激。両親が近くにいる中で何とも屈辱的な攻撃だが、ご両親は料理の準備をしているため一切外に出てこない。それをいいことに光留が玄関の扉に髙木の頭を挟むサンドイッチ攻撃をすれば、髙木も洗濯バサミで光留の乳首を挟む拷問攻撃。さらに髙木は庭の松で光留の乳首を刺したり、風鈴を光留の耳元で激しく鳴らしたりと、光留以上に家にあるものを有効活用。この辺はさすが路上プロレスの第一人者である。

形勢不利となった光留は「中、行くぞー!」と髙木は家の中に連れ込む。まずは玄関でエチケットとして足の裏を拭くのだが、髙木が「身体は拭かなくていいの?」と言うと、光留は「身体はいいんじゃないですか。そういう仕事をしていいよって言ったのは親だから」と身も蓋もないことを言う。ここで髙木は玄関のすぐ横にあった部屋の入り口に、広末涼子のポスターが貼ってあるのを発見。そう、この部屋はかつて光留も使っていた子供部屋だったのだ。現在は物置状態になっている子供部屋に容赦なく入っていった髙木は、本棚から小学校時代の卒業アルバムを発見するが、ケースだけで中身がない。高校のアルバムもあったのだが、なぜか光留も弟も行っていない学校のアルバムだという。そのほかにも光留が“緩めの黒歴史”という相撲部時代の表彰状や、光留が作った獣神サンダー・ライガーやストロングマシンの備前焼が発掘されたが、髙木が予告していたエ○本は残念ながら発見出来ず。

続いて戦場は絶賛料理の準備をしている台所へ。ここで光留は写真が趣味という光留父が撮影した光留母のヌード写真を額装して飾るのは、友達が遊びにきたときに恥ずかしいから勘弁してくれとお願いした過去を告白。その写真はバストアップにトリミングされ、現在も飾られている。台所奥の土間には現在は使われていない井戸もあったのだが、ここは電気もなく真っ暗なため髙木は「恐い! 恐い!」と連呼しながら、足早に裏口を出て裏庭に移動。
以前は畑だったという裏庭は、思わず髙木が「ここにリング立てて興行出来るよ!」と言うほど広い草原。シチュエーション的に「ここは巌流島だ」と言ってやる気満々の髙木だが、現在はとくに整備されていない草むらなため、ブレーンバスターを狙った髙木を光留が首固めで丸め込んだ際に体中草で切れたり、砂利がついたりして両者「痛い! 痛い!」と連呼。観客のひとりが「でもヨモギがあるから大丈夫」と謎のフォローが入るが、両者は早々と家の中へと戻っていく。

チョップやエルボーの打ち合いをしながら家の中に戻った両者は仏間へ移動。ご先祖様に謝りながら殴り合う両者だが、ここで今大会を撮影していたニコプロが、密かに仏壇に設置していたGoProのカメラを発見。そのことをご先祖様にお詫びすると、光留は感慨深げに「なかなか僕の実家に髙木さんと米山香織が来るなんていうのも珍しいけど、ちょっと夢を見ている感じ」と語り出す。髙木も「夢でしかないよ。よくやろうと思ったよ!」と感心。そういう発想になった原因の80%はDDTにあるという光留だが、髙木曰くパンクラスの選手なのにメイド服を着ていた光留を最初に見たときに「なんだこの選手は!」と思って興味を持ったのだが、ちょうどそのタイミングで鈴木みのるから連絡があったので、これは運命だと思って光留のDDT参戦をオファーしたという思い出を吐露。さらに米山の2011年12月23日の引退(するはずだった)興行に髙木も出場していたのだが、試合後DDTの興行があったため移動した髙木はまさかの引退撤回をSNSで見て、思わず「やったー!」と思ったという過去を告白。そんなことを聞かされても「ご縁ですね」でまとめてしまえるのが米山香織である。

思い出話から急に試合が再開され、居間に移動すると、ここで光留が“最終兵器”としてタンスから自分の母親の肌着を何枚か持ち出す(無許可)。「お線香の香りがする」と言いながら肌着で殴りかかった光留だが、髙木も必死で防御。肌着の半分を奪い取った髙木は掟破りの肌着攻撃で対抗。お互いの肌着攻撃が顔面に相打ちとなり、両者ダウン。そのまま米山レフェリーが数える10カウント以内で立ち上がれず、両者KOで30分を越える熱戦に終止符が打たれた。
激闘を終えた髙木は「すげぇ場所を用意してくれてありがとう。そして佐藤光留! ハードヒットを俺はオマエに『自分の城を持て』と言って譲った。その城を今も守り続けてくれて、本当にありがとう! 俺は今日、オマエに会ったら本当にそれを言いたかった。手を変え品を変え、コロナ禍だってハードヒットっていう自分の城を守り抜いて……今日もまあハッキリ言って“ハードヒットpresents”みたいなもんだよ。だからそれに出れて俺は嬉しかった。本当、守ってくれてありがとう。本当に感謝する! キミに渡してよかった、ハードヒットを」と語りかけた。Uルールを採用したハードヒットという興行は、2008年にDDTの1ブランドとして誕生。その後、DDT48総選挙で1位になった佐藤光留が「城をください」と直訴したことで、髙木がハードヒットを光留に譲渡。2011年より光留体制となったハードヒットは、2015年にはDDTから完全に独立。“現在進行形のU”として現在も光留が興行を開催している。
すると光留も「この僕のタイツに“旅”って(刺繍が)入っているのは、いまだに僕がDDTから旅をしてるっていう意味で入れ続けているんで。またDDTに出たら、二度とリングでは闘えない身体にしてやりますんで」と言って、髙木とガッチリと握手。実は長い長い歴史があった光留と髙木だが、この実家プロレスでひとつの集大成を迎えた。

試合後、光留が「ごはん出来てる? ママー!」と叫んだことで、光留が実家では“パパ・ママ呼び”だったという衝撃的な事実が発覚。これには思わずどよめいた観客も、気を取り直してお食事会の準備を手伝う。その間にコメントを求められた髙木は「元々はDDTで佐藤光留君はプロレスの道を歩み始めたと思っているので、そういう意味ではDDTの遺伝子みたいなものは彼の中にも残っているんだろうなと思いました。逆に肌を合わせてみて、すごい感じましたね。実家で敢えて言う! 佐藤光留は本物の変態だった! だからそんな変態と休業前に闘えて俺は嬉しかった! 以上です。ありがとう!」と、パンクラシストだった光留がDDTでプロレスラーとして開花し、今の佐藤光留にもDDTイズムが残っていることを確認。
一方の光留も「この異常さをメッセージ(として言葉)で伝えるんじゃなくて、プロレスってそれ自体がメッセージなんで。それを修飾するような台詞だったり、マイクでの決め台詞とか今はあるじゃないですか。そんなものなくなって本当は成立するんですよね。だけど変な話、あるほうが盛り上がるし、レスラーがラクなんですよ。だから僕は敢えて、この実家プロレスではラクしないんで。これで僕が伝えたいこと……伝わらなくていいんで。みんなが思ったことが(すべて)…それ以外何もないんで。好き勝手思ってください。正直な話、髙木さんが休業に入って、僕が来月44歳になって、もっと……別に同じことをしろとは思わないんですけど、突拍子もないことを思いついて、それを実現する次の世代、次の次の世代が現れることを僕は期待します。でも(そういう奴が現れたら)実家に呼んで叩き潰してやります! そこは生存競争なんで」と語った。路上プロレスの第一人者として様々な“突拍子もないこと”を実現してきた髙木は、7月21日の試合を最後に無期限休業に入る。そんな髙木イズムを受け継いでいた光留も、気付けばもうすぐ44歳のベテラン選手。この先、そんな“突拍子もないこと”をする若いレスラーが現れ、我々の想像もしていなかったプロレスを見せてくれることに期待したい。
そして最後にお食事会へ。試合を終えたばかりでコスチューム姿のプロレスラー三人と、観客がちゃぶ台を囲む中、光留父が捌いた魚や、光留母のお手製サラダ寿司や牛乳スープが振る舞われた。光留から実家プロレスの感想を聞かれた光留母は「いや、別に(苦笑)……面白かった。すごいね、皆さん。身近で見たら迫力がありました」とコメント。そして光留は自身が9歳の誕生日会を開いた際、この日と同じように父が捌いた魚のお造りを出したら、友達から「佐藤の家は生きた魚が出て恐い」と言われてしまい、次の年から来なくなってしまったというトラウマを告白。その恨みを晴らすために、この日の実家プロレスは“食事会付き”になったと言って、そのリベンジも兼ね全員で楽しくお食事会をして実家プロレスは幕を閉じた。

ちなみに光留のご両親は観客、関係者全員に手土産まで用意してくださっていて、それを受け取った観客は「お邪魔しました!」と言って佐藤家をあとにした。これも実家プロレスでしか見られない光景だろう。

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